Wed, 2005-02-16

夕凪の街 桜の国

夕凪の街桜の国賞を取ったり各所で話題になっていて以前から読もう、と思っていたんだけども、なんとなく遠ざけ気味になっていた「夕凪の街 桜の国」。やっと手にして読んでみたのですが…うーん、もっと早く読めばよかった。

読んでない人には、とにかく「読め!」と勧めたい。漫画でここまでぐっときたのは、初めてですよ。

内容にふれますので、ここからは追記にします。

といいながらストーリーについてじゃなくて、なんか自分のことをからめた、読書感想文みたいになりそう。

私は半分ぐらい広島育ちですが、広島生まれではないです。だから、この題材については、作者と同じく「よその家の物語」のような印象を持ちがちで、正直言って子供の頃は怖くて仕方がなかった。川や、当時はまだ残っていた廃屋には、なかなか近づけなかった。学校で教えられること以外に自ら触れようという気持ちは湧かなくて、多分その延長でこの本も最初遠ざけてしまいそうだったのですが、登場人物の名前に妙に親しみを覚えて、読んでみたくなった。

平野家の人々に、皆実やフジミ(富士見)、翠という名がつけられているのは、最後の解説で分かったのですが、元々家族が住んでいた場所にちなんでいるんですね。住まいを破壊された皆実たちは、現在で言う中央公園のあたりへ住み、物語が流れていく。

実はこの公園から平和公園の対岸のあたりは、高校の頃のわたしの通学路なわけで。毎日自転車に乗り丁度このあたりを通りかかる頃、鐘が鳴り、8時15分を告げる。読んでいる間ずっとその音や景色が頭に浮かんでいました。時代は違えども、そんな普通の生活をしていた人びとの上に原爆は落ちて、みんなの体と心に傷を植え付けたのでしょう。登場人物の名前が町の名前になっているのは、ひとりじゃなくて、そこに住むみんなを象徴してるんじゃないかとぼんやり考えた。

「夕凪の街」の救いようのない結末から一転、「桜の国」は一見、場所も登場人物も代わり、あかるい桜に包まれた物語のように見えるのだけれども、根底に流れているのは「夕凪の街」と同じつらさだということが端々に出てくる。この話の中で一番つらいのは、二世の七波や凪生じゃなくて、お父さん(旭)じゃないかと思う。実際体験してないことに負い目を感じてるんじゃないか。その空白を埋めるために広島に行ったのではないか。それは、体験した人にもしていない人にも共通する、なぜ自分は生かされたのか、という思いなのでは。

もう何度か読み返してみたんだけども、読むたびに違う伏線に気がついて、また初めて読み直しているような気分にさせられる。この本を知ったのはただのにっきさんなのですが、この伏線については読書ノートでとても秀逸なまとめを公開されてます。何度か読まれたあとに(1度読んだだけで見るのは絶対にお勧めできない)見られることをおすすめします。

んで、恐縮ですが蛇足ながらたださんの読書ノートに出てこなかったことで「ひょっとしたら」と気づいたことをいくつか。
・前述の平野家の人々の名付け(それはきっと、幸せだったろう過去の象徴)
・「京花」は、広島を象徴する花「夾竹桃」から来てるのでは? 確か草木も生えないと言われた焼け跡でいち早く花をつけたといわれている。(この名前については[Misc Review] こうの史代:夕凪の街 桜の国で別の説が出ていて、それも可能性はあると思う)
・「七波」の「七」の由来は、広島の7本の川?(確か昔は7本だったが、西の2本は改修で1本の放水路にされ、いまは6本になったと聞いた覚えが(1947年の空中写真))

うーむ、深いなぁ…。とにかくおすすめ。これを読んで「父と暮せば」が見たくなったのですが、丁度来月から岩波ホールで上映があるんですねぇ。見たら泣くだろうけど…。

Posted by osa at February 16, 2005 10:56 AM
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